2012年4月16日月曜日

「原子力発電所を問う民衆法廷」において申し立てられた原発事故被害者の声ー東日本大震災の歴史的位置 « 東京の「現在」から「歴史」=「過去」を読み解くーPast And Present


2012年2月25日、東京にて「原子力発電所を問う民衆法廷」第一回公判が行われた。この民衆法廷とは、いうまでもなく「民衆」(市民社会といったほうがよいだろう)が独自に設置したもので、起源は、バートランド・ラッセルやサルトルを中心としてヴェトナムにおけるアメリカの戦争犯罪を裁いた、1967年の「国際戦争犯罪法廷」にさかのぼる。この民衆法廷は、菅元首相らや東電(会社と役員)、班目春樹原子力安全委員会委員長らの刑事責任を問う形で行われたのだが、それ自体の目的としては、次の言葉に要約できるだろう。

本法廷の基本的性格として何よりも強調しなければならないのは、民衆法廷としては当然のことであるが、福島第一原発事故によって被災した福島県をはじめとする被害者の視点である。日本政府や東京電力が置き去りにして顧みようとしない被害者の声に耳を傾けることを基本に据えることなしに民衆法廷は存立しえない。被害者の視点で物を考えるとはどのような営みを指すのかを、権威や権力の高みからではなく、人類史上初の原発水素爆発の映像に震撼し、恐怖を味わった世界の民衆とともに考え、ここから来るべき思想を紡ぎだしていくことが本法廷に課された任務である。同様に、世界各地のウラン採掘現場で、核兵器製造工場と核実験場で、原発立地で、そして使用済核燃料貯蔵地各地で、人間の尊厳を賭けて闘っている 人々の声に耳を傾け、思いを共有することが、本法廷の出発点でなければならない。(「原子力発電所を問う民衆法廷・決定第1号」)

まさしく、この目的に基づき、福島県から7名もの原発事故被害者が申し立てを行った。一応、氏名だけは紹介しておこう。

村田弘(南相馬市小高区より避難)
増子理香(三春町より避難)
亀屋雪子(双葉町より避難)
武藤類子(三春町居住)
設楽俊司(福島市居住)
大河原多津子(田村市居住)
佐々木慶子


どのように第二次世界大戦は、アメリカ人に影響を与えましたか?

ここでは、警戒区域内の福島県南相馬市小高区飯崎に居住し、農業を営んでいた村田弘の申し立てをみてみよう。村田は、3月12日の福島第一原発第1号機水素爆発に伴う政府の避難指示により、13日、30キロ圏内の南相馬市原町区の石神中学校に避難し、その後南相馬市の勧告に従い、栃木県那須町をへて19日に長女の住む川崎市に避難した。村田は、次のように事態を概括している。

 

私の住んでいた南相馬市小高区を含む20キロ圏内の2市7町村では直ちに主要道路に検問所が設けられ、立ち入りを制限されました。さらに4月22日には災害対策基本法に基づく「警戒区域」に指定され、2万8千世帯7万7千人余の住民が強制的に排除され、着の身着のままで全国各地で避難生活を送ることを余儀なくされました。
 あの日から、あと2週間で1年の月日が経とうとしています。
 政府は昨年12月16日、野田首相が原発の「収束状態」宣言をし、1月には放射性物質汚染特別措置法に基づき、年間被ばく線量20ミリシーベルトを境に「避難指示解除準備区域」と「居住制限区域」に、50ミリシーベルト以上の地域は「帰還困難区域」に分断して処理をするという方針を発表しました。
 しかし、被害の実態は放置されたままです。だれがその全容を把握しているのでしょうか。原因の解明も遅々として進んでいません。この大惨事を招いた責任の所在については、法治国家としての当然の追求の動きすらありません。これは、いったい、どうしたことでしょう。
 私は、普通の人々が望む正義が守られ、貫かれ、普通の人が普通に生きられる社会の実現を願い、私の体験をもとに、以下、3つの点について申し述べさせていただきます。


メアリーセレステはどのように死ぬのですか?

 そして、まず、村田は、福島第一原発事故が多くの人命を奪ったことをとりあげている。避難中、多くの老人たちが死に追いやられた。また、自死もあるのだが、村田は「自死に追いやられた人々の数も実情も、ほとんどが闇の中です」と述べている。さらに、福島県の「浜通り」では、地震と津波で1800人を超える人々が犠牲になったのだが、原発事故で救助と捜索が1ヶ月近くも放置されたことを村田は指摘している。

村田は、一昨年同期(3月1日〜12月31日)より津波や地震の死者を差し引いても7千人ほど福島県では死者が増えている、福島県でも3400人が原子力災害や大震災でなくなったとしているのだが、政府や東電は因果関係を認めず、原発災害による一般の死者はゼロとしていると指摘した。その上で、村田は、このように述べている。

…全電源喪失を「想定不適当」という普通の人には理解しがたい言葉を使ってまで、原発の稼働を許してきたこと、これ一つだけとっても「因果関係」は明白ではないでしょうか。
 人を死なせたことを、普通の人は「人殺し」と言います。「人殺し」は重大な罪です。しかも、数千人です。「犯人」が突き止められず、罰せられないことが、許されるでしょうか。
 肉親が、友人が、知人が亡くなれば、多くの人々が集まって故人を偲び、弔います。放射能に追われる中で、死者の最後の尊厳すら守れなかった数千、数万の人々の無念の思いを、闇に葬らせてはなりません。

続いて、村田は、福島第一原発事故は、「かけがえのない自然を破壊し、多くの人々の過去と未来を奪った」と訴える。村田は、このように述べる。

 


自分と妻と子供を殺した

福島県には約15万ヘクタールの田畑があり、耕地面積では全国7位の農業県です。コメが4割を占めますが、モモ、ナシ、サクランボなどの果樹の有数の産地であり、太平洋岸にはサンマ、カツオなどの豊富な漁場が広がり、奥羽、阿武隈山地では畜産が営まれ、きのこもたくさん採れます。そこに広島原爆の20個分にも当たる放射能が飛散し、降り注いだというのです。
 警戒区域と計画的避難区域の田畑は、東京23区の半分近い面積があります。ここではコメも野菜も作付けが禁止され、草ぼうぼうのまま2度目の春を迎えます。福島県の8万戸の農家の人々は、鈴木博之(福島県の放射能汚染を訴えたコメ農家)さんと同じ思いを胸深くしまいこんでいるのです。
 私の家から海岸へ車で20分余の浦尻というところに、国指定の縄文時代の貝塚があります。約5千700年前から3千年間も続いた遺跡です。ここからは、カツオやカレイ、スズキ、ウナギやフナの骨が出土しています。5千年以上も続いてきたこれらの海の幸、川の幸と人間の関係も断ち切られたのです。
 林や森の中、草原で、もはや深呼吸もできない。落ち葉は「毒のかたまり」、川も海も放射能の集積する「穢れた所」。生命の源である「緑」が「毒」に変えられてしまったのです。マスクと線量計が離せない子どもや孫たちの将来……これが私たち前にある現実なのです。

この申し立ての最後に、村田は次のように訴えている。

 


最後に、この法廷の皆さんへのお願いです。
 ひと言で申し上げれば、普通の人が普通に考える、当たり前の正義を守ってほしいということです。
① 少なくとも数十万の人々の日常を決定的に壊したこと
② 少なくとも数千人の命を奪ったこと
③ 人の生きていく基盤である土と水と生きものと人との関係を決定的に破壊したこと
④ 以上のことが当然に起きることを知りながら、「安全」というひと言で人々をだまし続けてきたこと
⑤ 「国策」という衣を着せれば許されるとして、非人道極まる原子力政策を続けてきたこと
これを裁いていただきたい、ということです。

「私たちは日本国民なのですか」と双葉町の町長が言った、と伝えられました。「帰還困難区域」という名をかぶせられて故郷を追われ、放射能汚染物の「中間貯蔵地」という棄民政策の受入れを強要された場でのことです。この痛恨の言葉を思い起こしていただきたい。

 第二次世界大戦で、「平和と人道に対する罪」という考え方が生まれたように、「人間と自然の尊厳を破壊する罪」という新たな概念をつくってでも、この前代未聞の罪を裁いていただきたい。

 そうでなければ、私たちは死者と共に、夜な夜な藁人形に針を打ち続けるしかないのです。

村田は、ときどき、涙ぐみながら、この申し立てを行った。他の申立人も同様であった。福島第一原発事故により、最も大きな被害を受けた人びとの声として、これらの申し立ては貴重であるといえよう。なにをさておいても、彼らの声に耳を傾けなくてはならない。なお、村田は『世界』別冊に手記をよせているので、村田の主張をより知りたい方はそちらを参照してほしい。


そして、村田の申し立ては、私たちの心を揺さぶる。民衆法廷で、菅元首相や東電などは、「人の健康に関わる公害犯罪の処罰に関する法律」や刑法の業務上過失致死傷で告発されている。これほどの人災について裁く根拠法が、これだけのものしかないのである。村田のいう通り、ニュルンベルク裁判のように、あらたな法概念を提示する必要があるのではないか。そして、それを現実の法律として立法化していくようなことも考えうるのではなかろうか。今、この申し立てを回想してみて、そのように思った。